虚無に陥って抜け出して。その繰り返しで人生は進んでいく。
今までnoteでブログを書いていたが、noteの文体や雰囲気にそぐわない文章が頭の中から離れなくなった。ネガティブに振り切ったことを、どこか書きづらい雰囲気がある。
そこで、はてなブログを始めてみた。エディタが違うだけで、出てくる言葉が違ってくる。この違いは面白い。
このブログでは、僕の頭の中をただ垂れ流そうと思う。誰に読んで欲しいわけじゃない。ただ、自分の中での再確認として。そして、僕の思考は確かに存在したのだという証として。
ネガティブな思考でも人の背中を押すことは出来るのか。そんなことを考えていたりも。前向きに生きるのは眩しい。そんな人も多いはず。「希望」という前を向かせられるベルトコンベアに乗るのではなく、「絶望」が起点になった人生も良いのではないか。
人生悩みながら。ゆるくやっていきましょう。
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数時間おきに虚無に陥る。
「いつか終わる人生なのに、なんで生きているんだろう」という絶望が頭の中から離れなくなる。
人生なんの意味もないのに、なんで生きているんだろう。生きる意味ってあるのだろうか。意味もないのに、生にしがみつくのはなんでなんだろう。
なぜ多くの人は平気な顔でこの世を生きているんだろう。そんなことを本気で考えている。
死にたいわけじゃない。自分の周りにいる大切な人を悲しませたくない。家族はもちろん、今は大好きなパートナーもいる。そう思うと、世界に絶望していても生きていよう、と思える。
しかし、その効用は短い。その数時間後に同じ虚無が襲いかかってくる。そしてまた、なぜ生きているんだろうと思考が巡る。そんな繰り返し。
明確な答えが欲しいわけでもない。ただ不思議なだけ。そして虚無に陥ってしまう。
虚無に陥っているときは、本当にしんどい。なのに、なぜ嵌ってしまうのだろう。生きる意味を考えすぎて生きづらいって、生物の進化の敗北じゃなかろうか。
しんどいのに陥ってしまう。それは、そんな自分が嫌いじゃないからだと思う。人生の意味を考えずに過ごすよりは、頭を抱えて悩み続けたい。なんだか、その方が人生に対して真摯に向き合っている気がする。
とはいえ、しんどいままは嫌なので、生存戦略を考える必要がある。
目標を掲げて、その達成のために必死になっている人がいる。そういう生き方が称揚されている気がする。それを否定するわけではないが、僕にそんな生き方は無理なのだろう。生きる意味に頭を抱えている人が、目標のために生きられるわけがない。
じゃあどうやって生きていくのか。幸い、人の心は無くしていないので、目の前の人のために生きるのが良いのだろうなと思う。目標のために頑張るのではなく、目の前の人のために必死になる。生きる意味はなくとも、大切な人の笑顔を見たいという気持ちは本物だったりする。
それって生きる意味なんじゃない?とも思ったりもするが、大切な人を笑顔にする意味とかを考え出すと、また虚無に陥ってしまう。そして、また色んな思考をして、そっと抜け出すのだろう。そんな繰り返しなのだろう。
虚無に陥って抜け出して。その繰り返しで人生は進んでいく。そんな生き方も良いんじゃないかな。